タダに搾取されていないか
今年に入ってからなんとなく心に抱えていたモヤモヤ。
やっと自分の言葉で腑に落ちたのが、今日の記事のタイトル通り「タダに搾取されていないか」ということ。
私が小学生や中学生の頃は、ガラケーでCDを買ってMDやiPodに落としていた。
ツイッターもfacebookもなかった。携帯はせいぜい、mixiかグリーで友達作って無課金でゲームして少し遊ぶくらい。わからない言葉は分厚い辞書で調べていた。電子辞書には感動した。
今の私はどうか。
無料の音楽サイトやアプリを使えば聞きたい音楽の大半は聴くことができている。動画もしかり。無料のアプリゲームだってiPhoneに入っているからいつでもできる。
インスタグラムやツイッターで有益な情報を発している人はたくさんいて、検索さえすれば欲しい情報の断片は拾うことができる。ネット検索も同じ。気になることがあればすぐに調べることができる。レストランもコスメも口コミサイトを見て選ぶ。それが当たり前。
けれど、その当たり前は本当に大丈夫か?
「出典はどこか、根拠はどこか。」
そういったことを意識していない自分に気づいてゾッとした。
タダで得られる情報だけで満足していた。
他人が「いいよ!」っていうものをそのまま鵜呑みにしていたわけ。
でもきっと本物の情報って、タダでは手に入らないものばかりなんじゃないかな。
私だったら、タダで提供するのはもったいないって思っちゃうな。
(与えることで得られる豊かさ云々はここでは無視するね。)
例えば、本から知識を得る。
これには本の購入代金と読む時間のコストがかかる。
図書館で借りるにしても移動コストは必須だ。
著者も多方面に膨大なコストをかけて出版している。
例えば、その道のプロに話を聞く。
これにはお互いの時間コストがかかる。
プロは人に指南できるだけのコストをかけて経験を積んでいる。
例えば、美味いお店探し。
口コミを信じてハズレた経験も少なくない。
こればかりは自分の舌で確かめるしかない。
そうやって自分の何かと引き換えに得る情報の方が本物に近いんじゃないかな。
少し話は逸れるけれど、身近で本を書いたことのある人は「炎上するから本当のことは本にも書けない」って言ってた。
本当のことを知ってしまったら損をする人が出てくるから、そういう情報は安易に多くの人には晒せないのだと。
細かいことを言ってしまえば、ネット環境の整備や発信されている情報にももちろんコストはかかっているし、効率で比較したらメリットは大きい。
だから、ネットの情報=悪、信用できない とはならない。もちろん今後も利用する。
ネットの情報の怖いところは、それっぽいものがゴロゴロあるところだと思う。
こちらが時間コストを払って得た情報が、実は真っ赤なウソでした!ってことが普通にある。(上に挙げた本や著名人にも言えることだけど)
それを頭の片隅で理解して利用することが情報モラルってことだよね。
上手く言えないんだけど、要は、
「簡単に手に入るものだけですべてを知った気になって満足してしまっていないか?」
っていうことを自分に改めて問いながら生きていこうって思ったって話。
もう一つ言えば、私は、実体のないようなハリボテみたいな、そういう薄っぺらい人間になってしまうことを恐れている。
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後で修正するかも。