「嫌い」との付き合い方
「嫌い」や「苦手」に出会った時の話。
生きていれば、嫌なこと、苦手なことにはどうしても対峙しなくてはならない。
それは、対、人でも同じ。
嫌いな人、苦手な人というのは、好き人よりももしかしたら多いかもしれない。
でも、そんな世の中でも私は楽しく生きているし、これからもそうやって生きていけるような気がしている。
苦手な人に出会った時の対処法として、今まで行ってきたことの失敗談と、最近取り入れていることについて。
今まで行ってきたのはよくある、気にしない、相手にしないということ。
あるいは、良いところを見つけていく加点法を意識すること。
もちろんどちらも有効に働いてきたけれど、生来の癖もあってそれだけではどうにもやっていけなくなってしまった。
特に、1つ目のスルースキルみたいなものは、苦手な相手が上司がそれにあたる場合はちょっと難しい。
心の中でスルーしたとして、それを顔に出さずにいる自信は私にはない。
上司の上司からも、先輩からも、「頭を下げながら右から左に受け流せ」と常々言われていたけれど、ポーカーフェイスというのはセンスがいるものと思う。
それに、負けず嫌いの私は自分に嘘をついているようで、負けているような気がして、なんだか居心地が悪い。
スルースキルを組織の中で通用するレベルまで磨くというのは、私のような馬鹿正直な人間には少々難しいのでは?というのが、二十数年の人生経験での感想。
2つ目の加点法は、結構有効な方法だったと思う。
自分の常識は他人の非常識、と言うように、すべてにおいて完璧な人なんていない。
だから、減点法で拒絶するのではなく加点法で相手の良いところに目を向ける。
もちろん良いところはたくさん見つかったし、苦手だった人でも受け入れられるようになった。
でも、最終的には相手の「良いところ探し」に疲れてしまった。
この一因には、個人的に信じている性善説と完璧主義の部分がマイナスに働いてしまったと思っている。
「悪い人はいない」「どんな人でも良いところはあるから見つけないと」
そういう焦燥感に駆られて、自分の感性が抑制されてしまうような感覚に陥ってしまった。
そんなこんなで最近実践しているのが、「人間1回目なんだな」って思うこと。
要するに、「意識的に許して受けとめる」ということ。
これは輪廻転生とか生まれ変わりとか魂とか、そういうスピリチュアルな話が苦手な人には不快感を持たれる方法かもしれない。
苦手な人はどうかここで読み終わるのをおすすめする。
私は大前提として、魂は生まれ変わると信じているので、自分とどうしても波長の合わない人に対しては、「アッ、この人は人間歴が浅いからこういうことをすると人から嫌がられるのを知らないんだな」などと思うようにした。
人間1回目なら、他人に失礼な言動をしてしまったり、高圧的な態度を取ってしまったりするのは仕方がないじゃないか。
だって、世の中に揉まれていないんだもの。
そう思うと意外と、どんな理不尽でも許せるような気がするし、拒絶してしまいそうになる自分を一旦冷静にさせることができる。
これは決して、自分の魂が優位という考え方ではない。
仕方ないじゃないかって、許す視点を意識することで逆撫でられそうになった感情の波を普段通りに戻すイメージ。
自分も似たようななところがあるのだろうということは、忘れない。
(これは時々思い出すくらいでもいいと思う。)
結果的には、最初に実践していたスルースキルや加点法に通ずる「受け流す、受け入れる」に繋がっていくのだけれど、一番初めの心の構え方を変えることで私はこれまでよりも随分と生きやすくなった。
これを事象に応用するなら、「アッ、これは自分の魂では経験したことがないぞ?だから嫌だという恐怖心みたいなものを感じるのかもな」という感じだろうか。
この方法なら、この先少々嫌なことに直面してもやっていけそう気がしている。