成長について考える
「成長する」ということについて考えてみた話。
初めて転職エージェントに会いに行った時のこと。
とにかく今の環境から逃げたくて、その糸口にならないかと思って駆け込んだ。
その時は今ほどに頭の中も転職への希望も何もなく、
精神的にいっぱいいっぱいで藁にもすがるような気持だったのを覚えている。
優しく包み込んでくれることを期待していたエージェントには、
結果的には手厳しいことを言われ尻尾を丸めて逃げ帰ってきたのが今年の初夏。
今思えば他力本願だったなあと反省する。
(それでも、辛い時は辛いのだ。逃げてもいいのだ。と言えるような結果にしたい)
その時に言われて印象に残っているのが、
「成長したいというのは具体的にどういうこと?」という一言。
聞こえのいい言葉を並べようとしたのがいけなかった。
言われた瞬間何も思い浮かばなかった。墓穴を掘るとはこういうことか。
就活でも転職でも、もちろん就職してからも、
「成長」という言葉はよく耳にするし、なんだか耳障りもいいからつい使いたくなる。
けれど、具体的にどういう状態になったら自分は成長したと言えるのか。
目に見えるようなものではないから定義が難しい。
あれから何度も考えて、まとまらなくてうんざりもしていた。
社会人としての成長ってなんだろう。
就職してからずっと営業職だったし、転職後も営業をすることになりそうだから、
あくまでも営業視点で、また、今の時点の私で考え、言葉にするなら、
「課題解決に+αの価値を提供できるようになること」かなと思う。
営業の基本は、先方の要望に応えること。
御用聞きになるのではなくて、あくまでも実現の可否に対しては
折り合いをつける必要があるが、相手の望みを叶えるというのは最低ラインなのだ。
ぶっちゃけ、それさえ難しいのだけれど。
業務の一連の流れを掴んでくれば、最低ラインは超えられるようになるし、
新人のうちは最低ラインを超えらさえすれば、
「よくやってくれた」と、下駄を履かせてくれるもの。(世間のおじさんは優しい。)
そこまでは自分にできることが増えて、成長を感じられるから私も結構楽しい。
問題はその先。
常に最低ラインで仕事を取れるほど世間は甘くない。(それでもおじさんは優しい。)
顧客というのは自分を含めて総じて横暴なもので、
一度超えてしまったラインは次からは当たり前になる。
(だから安易な値引きは危険なのだ。)
その先も「こいつに仕事を任せてやるか」と思われるには、
私なりの付加価値が必要で、それが、+αとしての意味を持ってくる。
例えば、なんでもいいけど、
弊害へのリスク勧告と解決策の提示であるとか、
既存の契約に費用対効果の高い何かを低コストでプラスする提案とか、
「顧客が思ってもみなかったところに対してこちらからアプローチできるもの」を
見せてあげられたらいいんじゃないかなって思う。
私なりの付加価値を提供できるようになるには、手元のカードを増やすしかない。
増やす方法は、自分でPDCAしたり、先輩・上司から吸収したり、本を読んだり、
方法は身近なところに転がっていそうだ。
失敗も、次同じことをしなければいいという意味ではこれもカードになり得る。
一つ一つ、そんなに大げさなものじゃなくていいから
目の前のことに真摯に向き合っていった結果が「成長」なんだと思う。
こういう「なんだか自分にとって良さそうなこと」って、
思った次の日には忘れちゃうから文字にして読み返して定期的に思い出したいね。
次の職場はまだ決まっていないけれど、今までみたいに優しいおじさんが
仕事をくれるようなこともなくなるだろうから覚悟して望まねば、と思う。
自分なりに「成長」について考えてみたって話。