2018年を振り返る
2018年も残すところ1日と数時間。
今日は珍しく弟も加わっての家族総出で大掃除をし、夕方に回転寿司をもりもり食べてこたつでの今に至る。
みなさんの今年はどんな1年でしたか。
実りの多い1年だったでしょうか。
それとも、思うように進めない1年だったでしょうか。
私はというと、今年1年を振り返ろうにも夏前までのことを全く思い出せず、手帳をひっくり返す羽目になりました。
手帳を見ると、
1月、2月は割と仕事とプライベートを充実させようと奔走していた様子。
思い返せば平日の夜にもプライベートの予定を入れるなど、忙しいながらも時間にもゆとりを持てていたような気がします。
3月の繁忙期以降は、それが管理しきれなくなったみたい。
プライベートの予定はほとんど書かれておらず、仕事用に使っているバーチカルが真っ黒になってる。
6月には元々そりの合わなかった上司と本格的に決裂してしまって、抱えている案件も炎上しまくって、このあたりから精神的な余裕は減っていった。
忙しさに波はありつつも常に溺れかけていて、どうにかこうにか夏季休暇までは漕ぎつけたって感じです。
9月以降はお察しの通りで、今12月。
しんどい場所から離れてしまえば気持ちは落ち着いて、それからは「やっぱりもう少し頑張れたんじゃないか」と何度も考えた。
いずれにしろ、4年は頑張ってから次を探そうと思っていたから。
対外的には、「それが少し早まっただけ」なんて言いつつも、頑張れなかった自分が悔しくて恥ずかしくて情けなくて悲しかった。
でも、「本当にもうダメだ」と思ってしまったのだから、逃げたっていいじゃないか。
弱さを認めたくない自分と言い訳して逃げたい自分に揺られて過ごしてきた約4か月。
まだ答えは出ていないし、前にも進めていない。
正直、進展のなさにショックを受けている。
でも、まあ、
長い人生の中の数か月を怠惰に過ごしたからといってどうなるのだろう。
確かに、時間は有限だし、今日の私が一番若いのだし、頑張れるだけ必死に頑張る自分でい続けたいけれど、それによって失ってしまったものの結果がこの4か月であり、年の瀬にすぐに思い出せなかった今年の上半期であるのだから、それは認めなくてはいけない。
「自分一人でできることは思っている以上に少ない」ということに、社会人になってから何度も打ちのめされてきたけれど、今回の原因もここにあるのではないかと思う。
それでも今までは自分が頑張ればどうにかなってきた。
でももう、どうにもならなかった。
それは誰かのせいではなく、きっと誰がやっても似たようなことになったんじゃないかって、そう思う。
会社は学校と違う。
自分一人が頑張ったってできることは本当に少ない。
試験のように、自分が勉強すればどうにかなるなんてことはない。
やろうと思ってできないことは何一つないのだけれど、限られた時間の中で結果を出すためには、あるいは、誰かの期待に応えるためには、自分一人の力では到底足りない。
ということを認めて、時には折れることで本来の目的を成し遂げていく。
そういうことが組織で働くということなのかもしれない、と仕事場を離れてから思い至った。
どこに身を置くにしてもまだしばらくは組織にいるだろうから、来年はもう少し、生きやすい自分をつくっていこう。
自分を抑え込むのではなくて、きちんと折り合いをつけながら納得して進んでいこう。
みなさんの1年はどうでしたか。
上手くいかずに落ち込んでいた人には、これを読んで停滞しても大丈夫なんだと思ってまた前を向いてほしいし、全力で駆け抜けてきた人には、頑張ってきた自分を褒めてあげてほしい。
どんなにあがいても今年はもうやってこないのだから、少しでも明るい気持ちで終えましょう。
今年も1年間、お疲れ様でした。